2009年10月2日金曜日

景観の保護と利便性の追求

昨日辺りから話題の「鞆の浦埋め立て架橋事業」の裁判についてのお話。

今日ちちんぷいぷい見てたら考えさせられる事が多かった。
僕は個人的に自然とか遺跡が好きであるため、「景観利益」の保護のために大型公共事業の差し止めの判断が下された件に対して、素直に喜んでいる。ああいう美しい場所が日本から無くなっているのは、やはり寂しい。地元でも、昔と比べ、風景はすっかり変わり、昔まで溝にホタルがいたが、最近では見られない。もう一度ホタルを見たいという思いはある。

けれど今回、ちちんぷいぷいのニュースを見てて意外に思った点が、住民の声である。多くの住民が公共事業に賛成だった事。もちろん、ニュースはあくまでメディアなので何が真実かは現地へ行って、聞いてみないとわからないけれど、少なくとも賛成する人たちは少なくないという事はわかった。彼らは道路が狭くて、困っているのだという。この事を考えた時に、自分もあの場所に住んでいたなら同じ事を考えたかもしれないと考えた。地元の景観の美しさには、常々励まされているが、ふとJRが大幅に遅れると文句を言ってしまう。JRが遅れる事と景観の保護はあまり関係ないけれども、自分にとってJRという交通手段がまともに機能しなければ、「より高い利便性を要求する」という一つの重要な要因に意識が行ってしまうという事が言いたい。

そんな僕であるけれども、冷静に考えた結果、僕は人間の文化と自然の営みが溶け込み、創りだしてきた景観や、その価値を現代の人間の欲求だけで変えてしまう事はやはり非常にもったいないと思う。確かに鞆の浦埋め立て架橋事業の件で、実行する事により住民の生活は便利になるかもしれない。しかし、あまりに人間社会の利便性を追求しすぎると、環境の破壊、文化的価値のある遺産や景観の消失により、本当に大事なものを失ってしまうのではないかと僕は考える。イタリアの街並のように広範囲に広がる素晴らしい景観は日本にはもう数少ない。歴史で有名である京都でさえ、景観が綺麗だ、といえる場所は点在し、中心は近代化された街並である。近代化や都市化の恩恵を授かりつづ、その事に嘆く。歴史や景観に対する誇りはどこへ行ったのか。。。。

だから、今回の司法の判断は個人的に評価し、景観の保護を応援していきたいものである。しかし、住民の不便はできるだけ解決されるべきで、我慢せよ、なんて現地に住んだ事もない自分が傲慢には言えない。したがって景観の保護を最優先しつつ、解決策を見つけ、景観と住民がWin-Winで調和していく事を強く祈る。

2 件のコメント:

chigi さんのコメント...

ブログの意見strongly agreeです!
自然と都市の調和ってのは難しいけど、やっていかなくちゃいけないことだよね。

ところでブログの文章読んでたら、白と黒のコントラストをじっと見てたせいか、ブログ見終わったあと、視界にラインがはいって見えるんだけど…。
できれば目に優しげな色に変えてくれるとちょっと嬉しいかも。

キサバニー さんのコメント...

おおお。それにきずかなかった!すんまそん。
ちょっとプロトタイプカラーですが、こんな色どうでしょ?